こんな音楽が聴こえていた②
出会いは小学生の時、家にあったレコードで
当時ジャケットが怖かった思い出があります。
フォーク・クルセダース(セイダース?)
またも正式な表記はわかりませんが、
フォークルの「帰ってきたヨッパライ」です。
歌も怖い、サイケなジャケットも怖いで
夜は聴けなかったのですが、
ある日学校の授業で
「ソーラン節」を踊ることになり、
「あ!そういえば「帰ってきたヨッパライ」のB面
の曲「ソーラン節」だったな」
と思い、初めてB面をかけてみると
「!!!・・・何だ、このグルーヴ感!」
当然、当時グルーヴなんて言葉
知らなかったのですが
あの時の気持ちを今の言葉に
置き換えるとそうだったのです。
フォークルは京都で活動していて、
メンバーの加藤和彦さんは
私の父親の後輩で、
偶然にも私の誕生日が加藤さんの誕生日と
同じだと知り、親近感が湧いて
大好きになりました。
加藤さんは
「世の中に音楽が必要とされなくなった」
といった旨の言葉を遺されて旅立たれましたが、
私はいつの時代も音楽に助けられています。
フォークル復活コンサート、
京都駅大階段は忘れられない思い出です。
当時ジャケットが怖かった思い出があります。
フォーク・クルセダース(セイダース?)
またも正式な表記はわかりませんが、
フォークルの「帰ってきたヨッパライ」です。
歌も怖い、サイケなジャケットも怖いで
夜は聴けなかったのですが、
ある日学校の授業で
「ソーラン節」を踊ることになり、
「あ!そういえば「帰ってきたヨッパライ」のB面
の曲「ソーラン節」だったな」
と思い、初めてB面をかけてみると
「!!!・・・何だ、このグルーヴ感!」
当然、当時グルーヴなんて言葉
知らなかったのですが
あの時の気持ちを今の言葉に
置き換えるとそうだったのです。
フォークルは京都で活動していて、
メンバーの加藤和彦さんは
私の父親の後輩で、
偶然にも私の誕生日が加藤さんの誕生日と
同じだと知り、親近感が湧いて
大好きになりました。
加藤さんは
「世の中に音楽が必要とされなくなった」
といった旨の言葉を遺されて旅立たれましたが、
私はいつの時代も音楽に助けられています。
フォークル復活コンサート、
京都駅大階段は忘れられない思い出です。